説明がつくと、いらつきが消える。
人間は、常に因果関係をつなげようと努力している生物なんだと思う。
実際に正しいのかどうかは別として、納得できる説明を受けるとそれが正しいとして、安心する。
とあるブログで、
「投影性同一視による操作」
というページを引用していた。そのブログの内容にはあまり興味はなかったんだが、何気なく、このリンクをクリックして、ページを読んでみた結果、非常に腑に落ちて、肩のこりがほぐれた事柄がある。。。
仕事場に非常に対応が面倒な人がいる。仕事上の会話にさえ困難が生じ、数ヶ月前についに耐えきれなくなり、会話をできるだけ避け、最小限にしていた。
他人を度々執拗に非難・攻撃し、また、各種評価がAll or Nothing、そして、他人の言動に左右され、一貫性が無い。これが「上司」の部類に属すので、職場はかなり混乱。いろいろ情報を収集してみると、これまでの部下たちとも、トラブルを起こしているらしい。。。。
。。。。。(前略)。。。。。。。。このように自分のことを棚に 上げて、他人を非難することで、自分の中にある嫌悪すべき部分と直 面することを避けているのです。つまり、自分自身と向き合う代わり に、他人という鏡と向き合って、他人を攻撃するのです。ですから、 患者が、「お前は、×××だ!」と言ったとき、「お前は」という部 分を「私は」に置き換えてみれば、言っていることがそっくりそのま ま患者自身にぴったりと当てはまることがあるのです。しかし、患者 は「私は、自分勝手だ!」とは言いません。その代わりに「お前は、 自分勝手だ!」「お前は、自分のことしか考えていないじゃないか!」 と言って、周囲の人たちを非難するのです。 このような他人を利用した自己嫌悪は、患者が他人に憎しみを向ける というパターンだけではなくて、逆に他人に患者を憎むように仕向ける という形を取ることもあります。自分で自分を憎むのではなくて、自分 を憎んでいる「自分自身」を他人という鏡に映し出すのです。そして鏡 の役を割り振った他人から、自分を憎んでもらうことで、他人を利用し た自己嫌悪という形を作り出すのです。そして、このような形を取るこ とで、自分で自分を嫌悪するという苦痛から逃げようとするのです。で すから、わざと相手の人から嫌われるようなことをして、相手の嫌悪感 や憎しみを誘発するのです。そして、自分は、他人から嫌われる役を演 ずるのです。ですから、表面的には相手の人の怒りをかってしまい、嫌 われて除け者にされているように見えますが、実際には相手の人という のは、他でもない鏡に映し出された「私を嫌っている、いやな私自身」 ということになるのです。つまり、患者はこのような形で自己嫌悪を完 結させようとするのです。そして、相手の人は自分でも気づかないうち に患者自身の自己嫌悪のシステムの中へと組み込まれてしまうのです。 そして、いつの間にか患者から割り振られた役、つまり患者を嫌うとい う役割を演じてしまうことになるのです。 (後略)
というのを読んで、どうやら、その投影性同一視のメカニズムに取り込まれていた可能性があることに思い至った次第。
治療スタッフの対応策は載っているのだが、一般的な周囲の対応策が載っていないんだけど、、、、とりこまれないこと…が重要なのか??
会話停止はある程度対応としては正しかったのか…いや、それとも、そういう役割を割り振られていたのか?というような迷いが。。。
しかし、いずれにせよ、なんだか納得してしまった。